特集 精神療法における治癒機転
第63回日本精神神経学会総会シンポジウム
指定討論
白石 英雄
1
1三重県立高茶屋病院
pp.253-254
発行日 1967年4月15日
Published Date 1967/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201177
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用語にもりこまれている意味の深さをはかりかねたことと,東洋的思惟に私自身がどれほどなじんでいるのか見当がつかないことのために,演者のご意図にそぐわない討諭にならないかと心配いたします。私は精神分析的見地にたつていくつかの点につき討論をいたしたいと思います。演者は治癒機転という問題に重要な役割を占める治癒の概念について,東洋的思惟のたてまえから従来の欧米的な学問のなりたちをこえ,いわば直観的な把握をなし,そこからふたたび従来の分析的精神医学へと関連づけてゆくという労作をこころみられているようで,そのご努力に敬意を表します。
演者は「自我の統合」(これは欧米的な意味)や「没我—自我の滅却」(これは仏教的な意味),そして「意識・無意識」(これは分析学的な意味)といつた言葉をもちいて述べられました。そのために私のほうには定義上の混乱が生じて困惑しました。その一方,もしかすると演者にも上述の用語の理解に徹底を欠いておられるのではないかと感じました。たとえば「自我の統合ということのなかには,また自我を滅却しうるというはたらきがなければならぬ」と述べておられますが,推測で申しわけないですけど演者はお気持の底において,欧米的な意味での自我の統合と仏教的な意味での自我の滅却とはいくぶん相反する心の動向だと思つておられるのではないかと見受けました。私はごく通常の意味で「成熟した自我の統合は自我の滅却という面をもつものである」と考えております。
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