第3回精神医学懇話会 森田療法
指定討論
笠松 章
1
1東京大学分院神経科
pp.722-723
発行日 1966年9月15日
Published Date 1966/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405201060
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ただいま近藤さんのお話をお聞きしますと,討論の対象になるのは精神分析と対比して森田療法の特徴を述べられた点であると思われます。しかし,こうなりますと私の発言の機会ではなく,あとから土居さんあたりからおおいに異論が出ると思います。そこで私は少し観点を変えて違つたことを申し上げたいと思います。
森田療法のうちには狭義の精神療法からとカウンセリング,あるいは精神指導——ドイツ語ではSeelensorgeということばを使つてもいいが,指導ということばにちよつとこだわります——,医師が患者の生き方についてのアドバイスを与えるというようなものも含まれているように思います。それからさらに進んで,生きる価値を直接問題にする宗教的説教のようなものまでも含まれているのではないでしようか。ここでいう宗教はもちろん仏教ですが,これにもいろいろあり,他力の浄土仏教と自力の禅仏教では,原始仏教から引きついだ基本思想は同じでも,その説き方は違つています。森田療法にはこの両者が取り入れられているように思われます。神経質患者が,自分の<思想の矛盾>を自覚し,森田学説を信奉する治療者を中心として行なわれる独特の治療的雰囲気には,<凡夫往生>,<本願念仏>を絶対憑依する浄土的説き方である。<はからい>をやめ,症状を<あるがまま>に認める生き方を指向するのは,分別をやめた現実直観で<不立文字>,<直指人心>,<見性成仏>などの禅的説き方である。後者の禅宗的説教になりますと,宗教といつても科学と矛盾しないような面ももつているので,まえに述べたカウンセリング,あるいは狭義の精神療法と重なると思います。
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