Japanese
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動き
東アフリカにおける精神科医療の現状
Mental Hospitals in East Africaz
高木 隆郎
1
R. Takagi
1
1京都大学医学部精神医学教室
1Dept. of Neuropsychiat., Shool of Medicine. Kyoto Univ.
pp.75-79
発行日 1966年1月15日
Published Date 1966/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405200956
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I.まえがき
昨1964年7月から11月まで,私は,京都大学第4次アフリカ学術調査隊に参加して,東アフリカに滞在する経験をもつた。東アフリカとは,ビクトリヤ湖をとりまき赤道をまたぐ旧英領植民地の4力国,ケニヤ,ウガンダ,タンガニイカ,ザンジバルをいうが,タンガニイカは1961年,ウガンダは1962年,ケニヤは1963年それぞれ独立,そしてザンジバルは1964年独立後まもなく一種の革命のごときものでタンガニイカと合併政権を確立,私の滞在中に両国合わせてタンザニヤと改名した(1964年10月)。私にとつてアフリカは二度目の訪問であり,1962年9月から11月まで,西アフリカのナイジェリア(アベオクタの精神病院Aro Hospital),赤道アフリカのガボン(シュバイツァー病院の精神病棟),それからスーダンを経て束アフリカに渡り,このときはタンガニイカにすでに設定されていた京大隊の人類班の基地に約3週間滞在ののち,ピグミーを求めてウガンダに渡つてコンゴとの国境,ルエンゾリの山麓などを少々歩いて帰つた。今回は,日本からの空路の要地であるケニヤのナイロビで前後計1カ月ほどホテル暮しをしたが,他は主としてタンザニヤでのいわゆる現地生活であつた。帰国の直前,南アフリカ(ヨハネスブルグとケープタウン)にまでとび,人種差別のようすに少しばかりふれてからふたたびナイロビに戻り,旅装を整えてカイロ経由で帰国した。
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