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2011年3月11日,東日本大震災が発生した。地震,津波,放射能汚染という三種の災厄が福島を襲い,前2者も言語を絶する被害であったものの,その被害は局所的であったのに対して,後者の放射能汚染の問題は避難区域の住民のみならず,実際の物理的な汚染のレベルを超えて福島全県民を,行政,司法,経済,家族心理,科学的論争の混沌の中に巻き込んだ。そして福島県は,特別な場所“FUKUSHIMA”となった。子どもを放射能汚染の人質にされたような親の心理から,人生の転換をせざるを得なかった福島県民の総数は,避難区域の住民の数をはるかに超える。それほど,今回の原子力発電所の事故は大きな影を福島県にもたらした。物理的被害という尺度では測れない,放射能不安が多くの人の心と日常を蝕んでいる。当初,明らかな放射能被害の影響を受けたのは,直接放射線を浴びた現場の作業員であり,さらには家や田畑が無傷であるにも関わらず使用を制限され避難を余儀なくされ,生活の基盤と安心な日常を奪われた避難区域の住民21万189人であった。後者の方たちは県民健康管理調査のこころの健康度・生活習慣に関する調査部門の継続的な調査の対象となっており,筆者がその部門を兼任して担当している。さらには,都市部に点在する特定避難勧奨地点(いわゆるホットスポット)の周辺の少なくない割合の住民が北海道から沖縄(海外も含む)までの県外への自主避難を選択した(2011年9月の文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会第16回配付資料によると,自主的避難者数は約5万人で,そのうち県外が約2万7千人弱)。少しでも安全と思われる場所を子どもに提供したいと思うのは親の心理として当然のものだ。たとえば細菌感染のアナロジーで考えた時,「10の病原菌も1,000個の病原菌も,リスクの点では全く変わりはなく,どちらも完全に安全である」と科学的に証明されていたとしても,それは直ちに後者に対する安心を意味せず,ほとんどの親達が前者を選ぼうとするのは理解できる反応である。自称を含む専門家達による科学的見解も分かれる中で,成長期の子どもを持つ親たちは究極の選択を迫られた。「『逃げない親達は子どもが可愛くないのだ』とPTAの集まりで自主避難して行く親に非難された」と涙ながらに語った患者さんがいた。一方で,「自分達だけ避難するのは罪悪感がある」と言いながら県外に転院していった患者さんもいた。そして郷里を離れ,慣れない環境での適応が困難となり家族関係に問題が生じてきた避難者も多いと聞く。避難当初に,福島からの避難者のタクシー乗車や宿泊を拒否された例も報告されているし,避難先の学校に行かなくなった子どもの中には,「放射能が移る」といじめられた子どももいた。このような放射能スティグマの問題については,実はこの問題があることが逆に強い動機づけになり福島の支援に来てくださった支援者も少なくない。県民健康管理調査のスタッフの中には被爆三世の方が居て,祖母が被爆者であることで家族が社会的偏見に苦労された経験から,福島県民の避難の際の上記のような県外での対応に嘆き,「これまで我々が苦労して伝えてきたことは無駄だったのか?」と支援に来るのを後押ししてくれたと話してくれた。県内においても,たとえばいわき市では,大熊町など相双地区の約2万3,800人が避難生活を送っている。同じ福島県であっても伝統や生活習慣の異なる町や集落の人々が,ある年を境に,同じ場所にほとんど選択の余地なく移住させられた訳であるが,適応するのに大変な困難を伴うのは想像に難くない。事実,借り上げ住宅,仮設住宅の住民,従来から住む市民の間で,軋轢の存在も懸念されている。
国や福島県の委託を受けて県民健康管理調査を施行している福島県立医科大学の放射線や甲状腺専門の研究者達は,リスクを科学的に評価しようとしているが,「被害を過小に評価している」などの批判も受けることも多い。インターネットやテレビでは,低線量被曝の危険性を強く主張する研究者たちもいるし,福島県から避難すべきと主張する研究者,医師も少なくはない。しかし過少に評価している場合だけが重大な問題を引き起こすわけではない。もし仮に過大に評価した場合でも,県外に避難していった方たちに慌ただしく人生の転換を迫ったことになり,これにも彼らの未来に対して責任は重大である。福島県にとどまって住むことを選択する住民やそれが可能かどうかに対して注目している人々に対しても,正しい調査結果が示されることが望まれているが,それには多くの時間や協力が必要である。我々は,現在成長中の子ども達や,遠い未来の子孫に対しても重い責任を負っている。
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