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近年,医療事故をめぐる刑事裁判や損害賠償請求訴訟の増加を含め,これまで医療倫理または医療慣行の枠内で処理されてきた領域に法規則の網が広くかかるようになってきた18)。呼応して,従来医学教育でほとんど顧みられなかった法・倫理教育が注目されている10)。精神医療においては,一般診療科より法が身近であったためか,倫理と法についての論説2,6,7,13,17)は多くない13)。この状況を放置することで,精神医療における倫理の脆弱さと法的パターナリズム6)が見逃されることを筆者は危惧する。一般診療科において倫理という語と倫理的課題への対応は少なからず変貌をとげており,それらを参照することで精神医療における倫理と法への認識を喚起したい。
医学・医療の分野で“倫理”という語は,かつてヒポクラテスの誓いに象徴される医学教育の場面か,生殖医療,脳死・臓器移植,ターミナルケアなど先進医療または生死に臨む領域で使用されてきた。しかし,近年は診療科を問わず,臨床現場で稀ならず耳にする。従来の,患者の健康を重視するあまり他を顧みないあり方が医師のパターナリズムと批判され,1990年代後半からインフォームド・コンセントとして患者・家族の意向の尊重が謳われた。ただし,この意向の尊重も,精神医療においては,強制入院や社会防衛の観点から必ずしも実現されなかった。この背景には,患者の言動を疾病によるものとして人格から切り離す医療化と,医師の行為の規範となる精神保健福祉法などの諸法規の存在が挙げられる。患者・家族の意向に沿わない行為が,精神医療においてはその実効性を法的に認められることで,真摯な倫理的検証に付されなかった可能性をはらむのである。
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