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この巻頭言はピンチヒッターで書いている.頼むほうも窮すれば,「何を書いてもよいから」と低姿勢なことにつけこんで,勝手なことを書かせてもらう.「そのあとの記」とは,北大第一内科の川上義和教授が本年定年ご退官の際に上梓された小粋な随想集のタイトル,「そのほかの記」からの思いつきである.川上先生は,筆者と同じ昭和36年卒で,北大応用電気研究所の兄弟子でもあるが,同じ発想をされていたことが嬉しくもあり,面白いものだとも思った.つまり,筆者も,定年の2年前に東海大学を辞めたのだから,とうぜんと言えば当然なのだが,退職記念業績集なるものに抵抗があって,「風のこころ」というエッセイ集を出した.そして本誌編集委員会での堀江孝至編集委員からの「ポスト・ゲノム時代における呼吸器疾患へのアプローチ」という興味深い特集案に関連して,かねてから,筆者のこころの底にわだかまっていることの一部を書いてしまおうと考えた.
ここまでは余談である.「そのあとの記」は,現在の医学研究,とくにヒトゲノムに関わる研究が進んだ「そのあと」はどうなるのかという,老人の杞憂を記したいのである.最も単純な疑問,と申すより,恐れは,ヒトが死ななくなることである.ヒト遺伝子が解明されると,疾病や老化の問題が解決され,新しい薬が開発されて云々と,研究者はあたかもヒトが死ななくなるようなことを考えているらしいからである.その経過において,老化を予防し,不老長寿に近づける医療が,ひょっとすると高度先進医療などという誤った施策のなかで,金持の特権のようになったらどうだろう.わが国の多くの金持は,教養とか倫理とか哲学とは無縁な存在なのだから,そういう人種ばかりが生き残る.やがて,昔の伝説の八百比丘尼やら,陰陽師のような,死な盗い人間ばかりのおぞましい社会になる.人間の性(さが)が高貴なものであれば,それはそれで,この世が天国とか極楽とか言われる形になるのかも知れないが,悲しいかな,人間の煩悩は計りしれない.さらに,大宇宙の摂理は,人間の意思をはるかに超えたところで働いており,ヒトが「わがもの」と執着したものなどは,実にはかない存在である(ブッダのいう諸法非我とはそういうことだろう).若い方々には無縁だろうが,有名な清沢満之師の言葉,「われらは死せざるべからず,われらは死するも,われらは滅せず,生のみがわれらにあらず,死もまたわれらなり」をよくよく考えるべきではないだろうか.いくたの禅師が,「死は是の如く」と,清々しい遺偈(いげ)を残して自然の法とともに過ぎていったことは,大自然のなかの個の存在を,他の存在(動物や植物や)とは違う高みにヒトを据えたのではなかったのか.
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