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心臓は両肺にはさまれる形で縦隔中央に位置する.何故にこのような位置にあるのかは勿論,造化の神のみの知るところであろう.“私には何故,心臓が肺と隣り合った位置にあるのかが初めて判りましたよ”ドイツの呼吸生理学の泰斗と衆目の一致するP教授が私に,やっと聞きとれるぐらいの声でささやいた.1980年代初めのブタペストで開催された国際生理学会のレセプション会場での出来事である.この学会で私は,それ以前からの研究の継続で,心原性ガス混合(Cardio—genic gas mixing, CGM)が拡散とカプリングしてガス交換を促進するメカニズムが,肺気腫の動物モデル肺でも観察されることを発表した.P教授は,この発表に言及されたのである.気相内拡散の制限因子について詳細な研究を次々に展開されておられた教授の目からみると,肺を1〜2Hzで振動させる心臓の回転運動が拡散増進効果を示すという仮説は,唐突な,しかし見過でせないものであったのかも知れない.教授のこのコメントが,誉め言葉なのか,軽い“揶揄”を含んだ疑問の表明なのかは,立ち話にとどまった当夜の私の記憶からは定かにできない.その後,natural oscillatorの心拍動から,更に5〜15 Hzの人為的な高頻度振動を肺に負荷する換気法が続々として発表されて,1980年代の呼吸生理学研究のhot stuffとなったことは,読者諸賢の記憶に残っていることと思う.HFV,HFO,HFCWOなど,今となっては懐しさのみを呼び起こすような存在となってしまった換気法.そのコンセプトは定常流換気(Constant Flow Venti—lation)にも導入されて,命脈を保ってはいる.さらに最近では,重症肺気腫の外科療法として脚光を浴びているLung Volume Reduction Sur—gery(LVRS)により,気腫肺の心臓との位置関係がヒトで劇的に変わり得る状況が生まれつつある.肺内ガス混合が極度に低下した重症肺気腫で,隣接する過膨張肺を除去すれば,静脈環流が増加し,心拍出量の改善につながることは容易に想像される.しかし私にとって,最も興味あることは,かつて動物モデルの気腫肺で著減することを観察したCGMがLVRSによって,どの程度復活するのかなのである.さらに,肺が受ける,より大きな振動が,血管系,気道系の内皮,上皮細胞の機械的ストレスの増大を介して,どのようなサイトカインネットワークなどの細胞,分子レベルの事象に影響を及ぼすのか.考え始めると,興味は尽きず,大いなる楽しみを予感させるものがある.
CGMを最初に取りあげて,私もその研究チームの一員に加えてもらったカナダ・モントリオール市のマッギール大学のミーキンス・クリスチー研究所が,今年で設立25周年を迎える.この研究所から巣立った呼吸器学研究者は世界中で200人以上に達するであろう.日本からも約20人のフェローが留学して,現在,日本の各大学,病院で目覚ましい活躍を続けている.このような私の若き同僚達が,私が20年を経た今も“心臓と肺の隣接することの意味”にこだわりを持ち続けることになった,強いインプリントを各自の留学中に獲得しているように思う.やはり若い研究者には海外へ出て,同世代の若者たちと友人となり共通の知的連帯を成立させ,生涯それを維持するような志向性を持ってもらいたいと思う.そのような環境を作り整備することへの“こだわり”を強く持ち続けたいと考えるものである.
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