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はじめに
第二次大戦後,結核の高まん延国であった日本は驚くほど短期間にその罹患率を減少させてきた.結核病学をリードしてきた多くの先達が,今や当たり前となっている前向き比較試験を早くから行って診断法・治療法を確立してきた結果である.しかし,結核罹患率が減少すればするほど医師にとっては研究対象疾患としての興味が薄れ,同時に結核教育にも手が抜かれる傾向がみえ始めた.そして,1997年にはそれまで速度こそ遅かったものの確実に減少を続けていた結核罹患率が上昇に転じ,翌年も同じ傾向がみられた.事態を重くみた当時の厚生省は,厚生大臣名で結核緊急事態宣言を発し,医師会,病院関係,研究機関,学会など,諸団体に対して結核対策に関する諸々を要請し,国民に対しては結核に関する正しい知識を持つよう呼びかけた.
当時,結核診療で問題になっていた事項に診断治療の遅れ(total delay)があったが,前記の緊急事態宣言によりpatient's delay(患者が受診するまでの遅れ期間)とdoctor's delay(医師が診断できるまでの遅れ期間)が改善されるであろうと大いに期待された.しかし,かようなイベントで一時的に結核にスポットが当てられても,根幹の結核教育,すなわち医学生への教育の手抜きがあっては将来の結核対策は期待できない.日本結核病学会(以下,病学会と略)では,緊急事態宣言発出の前から,医学教育のなかで結核に関する教育の占める割合が急速に減少してきたことを危惧し,学会総会のシンポジウムなどでこの問題を取り上げてきた.
この稿では,これまでの病学会での結核教育に関する議論と大学医学部・医科大学における結核教育の現状の一端を紹介し,さらにいくつかの問題点を探る.
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