Coffee Break
見る 7.確証バイアス
長廻 紘
pp.1191
発行日 2013年7月25日
Published Date 2013/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403113893
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ものごとには必ず反対側がある.見るとは,見られることでもある.何かを見るとき,逆に自分もその何かに見られていることがわからなければ本当に見たとは言えない.世の中は,見ると見られると両方向.見るだけ見られるだけという一方的なことはない.見るもの(自己)があれば,見られるもの(他己)がある.すなわち,見るときには相手があり,その相手は同時にこちらを見ている.「人は花を見,花は人を見る」ときのように,相手と一体になったときにのみ,本当に“見”が成立する.目の前の花を見るとき,真に花を「この花」として観るためには,花と一体にならなければ見たことにならない.自己が動くとき,他己も動く.一体になったときには花が何かを語りかけてくる.そうでなければ花を目の前にしても,夢を見ているようなものである(如夢相似).
人は,トウンダのように自分が見たいようにしか見ない,見たいようにしか見ることができない(「胃と腸」48巻2号掲載).同じように,他者は自分が見せたいようにしか見せてくれない.人のどこを,何を,あなたは見ていますか.そのように他の人もあなたを見ていますよ.根が,太くて深い根がある人間かどうか他人は見ている.金庫だけ見ている泥棒は捕まりやすいが,金庫を見ている自分を見ている眼があるとなかなか捕まらない.天知る,地知る,人知る,われ知る.密室で何かをしても,必ず誰かに見られている.悪事千里を走る.「天網恢恢,疎にして漏らさず『老子』」.
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