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世界で最も著名な人類学者の1人であったM・ミード女史は,世界の文化を過去志向型,現在志向型,未来志向型の3つに分類した人であるが,彼女の著書「地球時代の文化論―文化とコミットメント―」(太田和子訳,東京大学出版会)によれば,“第二次大戦前に育ったわれわれは,これまで過去を理解し,現在進行中のことを解釈し,未来を予想する際に用いてきたどの方法によっても,とうてい捉えることのできない「現在」に入り込んでしまった.……電子革命以前に生まれ育ったわれわれの多くは,その革命が何を意味するのかまだわからないのである.われわれは今なお権力の座にあり,われわれの知っている種類の社会を組織し,その秩序を保つのに必要な技術や財源を支配している.教育制度が年季奉公の制度といった,若者が一歩一歩登らなければならないキャリアへの階段を支配している.……それにもかかわらず,われわれは引き返すことのできない地点にまで来てしまった.不慣れな状況で生活する破目に陥りながら既知のことに頼って,なんとかやっているのである.確かな品質の新しい材料を用いて,古い様式のまま当座しのぎの住居を建てているようなものである.”と述べている.抜き書きながら長文の引用になってしまったが,このミードの言葉を,この印象記の初めの言葉としよう.
サウジアラビア・エジプトの旅から帰った翌日の3月30日から3日間,第67回日本消化器病学会総会が都立駒込病院長松永藤雄先生の会長のもとに開かれたのであるから,時差などなんでもないといったら嘘になる.会場は高層ビルが水晶のように並ぶ新宿副都心の京王プラザホテルであった.ギザ,サッカラのピラミッドなど見てきた眼には,いつも見慣れている高層ビル群も,感覚的な異和感があった.会場費の高くなるホテルを学会場にしなければならなかったのは,消防法のため改築中の国立教育会館その他の会場候補施設が使えなかったためで,苦心が多かったと思う.経済大国と自負している日本国の首都に,大きな収容能力を持った,数会場を備えた大会議場がないということは,1万人以上の会員を持った消化器病学会としては大きな問題である.反射的に思い浮かぶのはハンブルグの会議センターである.もっとも,会員が1万人の大台を突破したということは,医師の過剰時代が,もうそこまで来ていることを示すものかもしれない.
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