医道そぞろ歩き—医学史の視点から・43
強靱な意志を貫いた博物学者シーボルト
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.2046-2047
発行日 1998年11月10日
Published Date 1998/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402907247
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シーボルトはヴュルツブルク生まれのドイツ人で,ヴュルツブルク大学で医学を学んだのち,オランダ領であったインドネシアにオランダ軍医として赴任した.シーボルトが当時唯一の外国人居留地であった長崎の出島に来たのは,文政6年(1823年)の7月である.シーボルトはオランダ商館付医官として来日したのであるが,オランダ政府から日本と日本人に関する広汎な調査を命じられていた.
折しも日本の先覚的な医者の間に西洋医学への抑えがたい渇望があり,長崎のシーボルトの学塾「鳴滝塾」には優れた若者たちが各地から集まってきた.文政9年(1826年)にシーボルトが商館長に同行して江戸まで旅をしたときには,江戸でも多くの医者が彼の宿舎を訪れて情報を交換した.
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