連載 医者も知りたい【医者のはなし】 10
シーボルト事件―第2回 シーボルト事件と帰国後のシーボルトについて
木村 專太郎
1
Sentaro Kimura
1
1木村専太郎クリニック
pp.1082-1086
発行日 2004年8月1日
Published Date 2004/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408100521
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■シーボルト事件
文政11年(1828)8月初旬,オランダ船コルネリウス・ハウトマン号が長崎港に着き,9月20日に任期の終了するシーボルトを乗せて出航する予定であった.船が入港した後,日本で収集した多くの資料を荷造りし,ほとんどをオランダ船コルネリウス・ハウトマン号に積み入れていた.しかし8月10日にすさまじい雨風が襲来し,コルネリウス・ハウトマン号は岩礁に当たり難破した.船に積み入れていたシーボルトの荷物が流出し,役人が調べると,その中に国外搬出を禁じていた物品が多く発見された.禁制品の出所は厳しく詮議され,出所が判明した.その中の代表的な品物で歴史的に有名なものは,眼科医土生玄碵の贈った葵のご紋の入った紋服と,天文学者高橋作左衛門が贈った日本地図の2つである.これによりシーボルトに関係したものが,約50人逮捕されたり,蟄居させられた.
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