連載 話したくなる 整形外科 人物・用語ものがたり
第25回
「日本の西洋医学を支えたシーボルト」
小橋 由紋子
1
1日本大学医学部附属板橋病院放射線科
pp.878-879
発行日 2024年8月19日
Published Date 2024/8/19
DOI https://doi.org/10.18885/JJS.0000001864
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シーボルトはドイツのヴュルツブルクの生まれであり,父方は代々の貴族階級の医師の家系であった。父上も産婦人科の教授だったことから,彼も必然的に医師を志すことになる。一方,大学で医学を学びながら植物学や動物学に関心をもち,東洋への興味も募らせていくことに。彼は医師になった後,貴族階級であるプライドから単なる町医者になることに抵抗を覚え,オランダ商館医となり鎖国の日本へ訪れることになる。オランダは当時数少ない日本の貿易相手国であった。彼は当然オランダ人になりすますことになるが,彼のオランダ語はなんともいただけないものだったらしい(日本人の通詞より不明瞭なオランダ語だったらしい)。彼は「私は山のほうで育ったオランダ人だから訛っている」とごまかし通した。オランダに山なんかあったか?? オランダの地理などわからない日本人はそれでコロッと騙されてしまっているのが微笑ましい。シーボルトの医療経験はせいぜい2年かそこらだったらしいが,西洋医学を知らない日本人には衝撃だったようである。シーボルトは長崎の出島で開業し,陰囊水腫の手術や鉗子分娩,眼科手術などを行ったそう。その後は出島外で鳴滝塾を開塾し,西洋医学教育を行っている。塾生に二宮敬作や伊東玄朴などがおり,幕末の医療を支えることになる。ちなみに二宮は後にシーボルトの娘 楠本イネを養育し,立派な産婦人科医に育て上げた人物である。シーボルトもちゃっかり(?)しており,医学教育の見返りに塾生達に日本の動植物や産業,地理などについてレポートを書かせたらしい。
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