iatrosの壺
難治性血液疾患で逝く若者から学ぶもの
西成 民夫
1
1由利組合総合病院内科
pp.342
発行日 1996年11月30日
Published Date 1996/11/30
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402905634
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初発時から重症の再生不良性貧血のIさんは蛋白同化ホルモン,メチルプレドニゾロン—パルス療法,シクロスポリンA,大学病院でのエリスロポエチン,IL—1α,,IL—3,いずれも効果が認められず,骨髄バンクが普及したときには輸血量が多く移植も不可能でした.約9年の経過で,最後の2年間は当科外来で輸血とG—CSF投与を受け,またヘモクロマトーシスによる糖尿病のためにインスリン自己注射をしながら,電子部品の検査の仕事に情熱をかたむけていました.最期は重症肺炎・肺塞栓で他界しました.剖検では,29歳のその胸に胸腺が残存していました.
治療抵抗性非ポジキンリンパ腫のAさん.大学で放射線療法,化学療法,末梢血幹細胞移植と大変な治療を受けた後,郷里の当院へ紹介入院となりました.腹部にはbulky massがあり,自分の病気とその余命いくばくもないことを知りながらも,最後まで明るく,病棟のスタッフにたくさんのことを教えてくれました.ミトキサントロン,イホスファミド他のsalvage therapyに耐えて,少しでも調子のよい日は笑顔が一層輝き,看護婦さんたちを逆に励ましてくれました.輸血しても血小板が2〜3万/mm3にしか上がらず,おそるおそる22Gのカテラン針を使って胸水・腹水を抜くと,楽になったとAさんは感謝してくれました.19歳の誕生日を迎えて間もなく他界されましたが,剖検が終わり出棺のとき,もう勤務時間外であったにもかかわらず,病棟の看護婦さんたちが皆Aさんを見送りに出てきました.棺に自分の顔をこすりつけ,声をあげて泣いているスタッフもおりました.
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