医道そぞろ歩き—医学史の視点から・7
肺結核と戦ったラエネックの聴診法
二宮 陸雄
1
1二宮内科
pp.2324-2325
発行日 1995年11月10日
Published Date 1995/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402903960
- 有料閲覧
- 文献概要
フランスのラエネック(Rene T.H.Laënnec,1781〜1826年)の名は肝硬変の剖検所見の記載でよく知られています.肝硬変についてラエネックは次のように記しています.「肝臓は通常の3分の1の大きさに縮小し,……その外表面は顆粒状でしわが寄っており,灰緑色をしている.割面は多数の小さな円形ないし卵形の小葉から成っているように見え,それは辛子ないし大麻の粒の大きさであった」.実は,この肝硬変の症例はラエネックの胸部疾患の本の中にあります.その本は「間接聴診法,あるいは主に新しい検査手段に基づく肺と心臓の疾患の診断に関する研究」(1819年初版)という題ですが,その中でラエネックは初めて聴診器とその使用結果を発表しています.当時,アウエンブルッガーの打診法は知られていましたが,聴診をするためには耳を直接胸につけて音を聞いていたのです.ラエネックの聴診器を日本に初めて導入したのは,嘉永2年(1849年)に長崎で牛痘痂皮を輸入したオランダのモーニケです.オランダ通詞品川梅村が職人に模造させ,これが若狭藩医杉田成卿の手に入ります.成卿はモーニケの解説文を訳し,「済生備考」(嘉永3年)の中に「聴胸器用法略説」として図解収録しています.石田純郎氏によると,長崎大学医学図書館にモーニケの聴診器が保存されているそうです.
Copyright © 1995, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.