医師の眼・患者の眼
小島寮の母
松岡 健平
1
1済生会中央病院内科
pp.165-167
発行日 1979年1月10日
Published Date 1979/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402215745
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富士に眠る友を偲びて
四国山脈は北側の傾斜が急峻で,南側はなだらかに太平洋に没する.この山地の西寄り伊予と土佐との国境に大野ケ原というカルスト台地がある.四国にもこんなに雄大な景観がと思うところで,白い石灰岩が露出して点在し,朝霧がたなびく頃,あたかも白馬の大群が行進するかのごとく見える.一名源氏ケ駄場と呼ばれている.
私の郷里は松山市であるが,中学・高校時代当時としては珍しく越境入学していた男がいた.大野ケ原の近くの村からきていた近沢俊明という実につい奴だった.松山南高校を出ると,近沢君は日大に進んで上京し,私は浪人になって上京した.昭和29年のことである.11月も終わりに近く,はじめての木枯らしが強い午後,近沢から電話があった.
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