天地人
試験管ベビーに思う
天
pp.149
発行日 1979年1月10日
Published Date 1979/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402215741
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「母親は常に母親だが,父親はかならずしもそうではない」とは,ストリンドベルヒの有名な言葉である.つまり,母親の場合,子供は自分の腹をいためて出てくるので,間違いなく自分の子供であるといえるが,男の場合は,そのような確認の場がないので,きわめて不正確に父親にされているということである.このような父親の不確実性は,しばしば艶笑小咄の材料となり,山本有三の小説のように,文学の重要なテーマになったりもする.
しかし,試験管ベビーの時代ともなれば,母親とて安閑としてはいられない.試験管ベビーが大いに流行ったとしよう.産院で子供が間違えられたりするのだから,他人の受精卵を子宮の中にもどされたりするかもしれぬ.そのとき,着床するのか流産してしまうのか.それは不明だが,血液型があっていれば,簡単に着床しそうな気がする.そうなれば,自分の腹から出てきたといっても,それが母親の確証とはならない.
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