忘れられない患者・私の失敗例
あわれ名花一輪
相沢 豊三
1
1立川病院
pp.1026
発行日 1976年7月10日
Published Date 1976/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402206671
- 有料閲覧
- 文献概要
終戦後,何年か経った頃のことである.近い親戚にあたる○○子の具合がおかしいというので往診を依頼された,嫁して間もなく新郎方の立派な屋敷の一室に臥床していたこの美しい花嫁に,私は結節性紅斑という病名を献上し,これをきっかけに時折同家を訪れることになった.サリチル酸ナトリウムを内服しているうちに両下腿部の発疹は消失し,やがて微熱もとれたが,血沈の促進が正常にもどるには約2カ月を要した.胸部レ線には異常所見は認められない.この疾患は当時,結核との関連が問題にされたものであるが,現在では結核菌を除く細菌の病巣感染アレルギーと解せられ,副腎皮質ステロイド療法が効果を示していることは御承知の通りである.
さて,そうこうしているうちに,今度はその夫君の方にかなり進行した両側肺結核のあることがわかり,もっぱら療養に専心し,会社も辞めることとなってしまった.楽しかるべき新婚家庭は引きつづいて病魔の魅いるところとなり,暗雲低迷,あれやこれや心の痛手に堪えかねたのか,新婦は両親の下に里帰りということになった.必然的に両家の和は保てなくなり,このような冷たい関係がなお続けば,お二人の縁も切れてしまうのではないかと危ぶまれつっ,心ならずも4年の月日が流れていった.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.