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臨床家のめざすところ—肝硬変の分類から
高橋 忠雄
1
1慈恵医大内科
pp.4-5
発行日 1971年1月10日
Published Date 1971/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402203457
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1956年の1月26日,CubaのLa Habanaで行なわれた第5回汎米消化器病学会での"肝硬変の分類および命名の協議会"がSherlockを委員長として開かれた.その席上での決定事項はGastroenterology, Vol. 31, No. 2のP. 213-216に載録されている.ここでは形態学的,原因論的および機能的の観点からの,肝硬変の分類について討議されたのであるが,どういう理由からか,このうちの形態学的分類としてのportal, postnecroticおよびbiliaryという分け方だけがクローズアップして受け取られたようである.
ことにわが国の肝臓学者は,これに刺激されたところが大きく,その2,3年後の日本肝臓学会(当時はまだ国際肝臓研究会日本支部の名でよばれていた)では,この肝硬変の分類をめぐっての討議がしばしば行なわれた.ただし,日本ではすでに半世紀以前に提唱された長与の甲型・乙型の分類があって,病理学者の多くが,これを踏襲しているので,多くの病理学者と内科学者により主張された分類も,つまるところはこの甲・乙両型の意味づけと亜型の設定などによる修飾が主であった.その内容は大同小異ともいえるが,最終的な調整ができないままに,現在に至っている.
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