インタビュー
病人を待たせるな—熊本大名誉教授東医大病院内科顧問 小宮悦造氏に聞く
pp.734-735
発行日 1968年6月10日
Published Date 1968/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402202255
- 有料閲覧
- 文献概要
医者の書生から始めた医学の道
—先生は農家のお生まれとうかがっておりますが,医学の道に進まれるまでのことをお聞かせください.
小宮 私は明治19年山梨県広里村(いまの大月市)という寒村に生まれましたが,いなかで比較的生活の豊かだったのは医者で,皆憧れていましたよ.たまたま私の遠縁に,漢方医から西洋医になった高齢の医者がいましてね.そこで見習いをやって医者になればいいというので,高等小学校を出るとすぐ書生にやられました.3カ月ぐらいの間に教えてもらったのは,薬をグラムで計る方法だけで,あとはぞうきんがけをしたり,ごはんたきをしたり.これではダメだと思っているうちに,郷里の近くに中学校の分校ができた.小学校の先生や親戚の者に頼んで祖父母や父母を説得してもらい,入学しました.うれしかったね.それから,明治39年に中学の本校(山梨県立日川中学校)を卒業して,高等学校にはいるのに,東京に出て予備校にはいりました.わたしはすでに,かぞえの21歳になっており,徴兵猶予の関係で学校に籍をおかなければならなかったので,入ったのです,しかし,予備校の授業はバカらしくて,高校の入学試験まで郷里に帰っていました.それまでは,ずっと医者になるつもりでしたよ.
Copyright © 1968, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.