追悼
飯野三郎名誉教授
若松 英吉
1
,
青池 勇雄
2,3
,
天児 民和
4,5
,
片山 良亮
6,7
,
岩原 寅猪
8
1東北大学整形外科
2川口工業総合病院
3東京医科歯科大学
4九州労災病院
5九州大学
6東急病院
7東京慈恵会医科大学
8慶応義塾大学
pp.95-99
発行日 1979年1月25日
Published Date 1979/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408908562
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飯野三郎先生を悼む
私たちの恩師飯野三郎先生が昨年10月26日お亡くなりになつた.28日に通夜,29日お葬式と慌しく終つてしまい,暫く日を置いた今になつて,何となく物足りなく,また物淋しい.時がたつにつれ,先生に纒わる断片的な記憶が甦つてくる.
先生の東北大学ご在職中は香を焚きしめた整然とした教授室にゆつたりと夜遅くまで腰を据えておられた.そして先生が第一義的に重んじておられた独創的な研究について,プランをあれこれ考えておられた.先生は追試的な仕事を「そんなもの誰かがやつているさ」といわれ極度に嫌われた.先生の生涯の研究であるバゾグラムは独創的なものを求められた結果の一表現であろう.歩行の描写に円柱レンズの応用を考えつかれたとき,"やつたぞ"と大変意気揚々とご機嫌のようであつた.ある教室員が抄読会でInmannの歩行に関する論文を紹介したとき,うちの教室でやつていると同じようなという言葉をちよつと挾んだところ,何が同じだと大いに怒られたことがあつた.
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