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辛かった外人教師の採点
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pp.293
発行日 1964年5月10日
Published Date 1964/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1402200294
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片山国嘉といえば東大法医学教室を創設し日本人として最初の裁判医学の講座を開講した人である。片山教授は明治12年に東大医学部を卒業し,明治14年東大助教授となり生理学を講じた。裁判医学の講義をするようになったのは生理学教師Tiegelの通訳をつとめ,衛生局の裁判所員に裁判医学の講演をしたのが買われたためで15年に開講したのである。裁判医学と衛生学を講じたが,明治17年から明治21年まで独,墺に留学して帰朝してからは,教授に昇任,もっぱら裁判医学を講じることになったのである。
写真は片山教授が開業する時に提出した書類に付した東大の卒業証の写であるが,卒業試問の成績を見ると総評は丙であり,試問委員としての外人教授の名前がずらりと並んでいる。ずい分からい点数である。ぬきん出られて教授になった人であるから,成績はそう悪くなかったはずであるが,甲の点数をとっているのは「骨論および内臓論」と「局所解剖学」だけであって「組織学」が乙で,他はおしなべて評点丙である。卒業後,助教授としてまず講義を持った「生理学」は丙である。
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