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発見から症例の集積まで
タコツボ心筋障害は,佐藤(筆者)が,児玉和久先生(大阪警察病院・心臓病センター)が主催する六甲循環器カンファランスにて症例を呈示したのが最初であり,その第一例目の症例を呈示する(図1)1).学会としては第1回日本冠疾患学会にて,土手慶五医師(現安佐市民病院循環器科主任部長)が最初である2).細い冠動脈がエルゴノビン負荷により,より細くなり,会場はどよめいた.多発性の冠動脈複数の冠動脈攣縮例としてタコツボ心筋障害例を供覧したのだ.議論は白熱した.その後タコツボ心筋障害の症例を重ねるにつれ,タコツボ心筋症の急性期といえども,それほど冠攣縮症例は高頻度ではないことがわかった.もちろん,冠攣縮が原因とする報告もある.一方,心尖部の心基部の狭窄様所見と心尖部の膨隆が特徴としてきたが,大きさも多様であること,さらに,心基部の膨隆を特徴とする症例もあることがわかってきた.Hurstらは,一過性の心基部膨隆例を報告3)している.
循環器科の世界的有名な教科書“HURST THE HEART”や“BRAUNWALD’S HEART DISEASE;A Text book of Cardiovacular Medcine”は,もちろんのこと内科学の世界的な教科書“CECIL MEDICINE 23rd”や“HARRISON’S principle of internal medicine 17th”にまで,tako-tsubo cardiomyopathyとして,わずかながらも取り上げられるに至った.タコツボ心筋障害を最初に研究会で取り上げてくださったのは,順天堂大学循環器内科の河合祥雄教授である.本邦学会報告例の検討で総説として発表し,纏められた4).しかし,地方の一病院の循環器科をいつも温かく見守ってくださったのは河合忠一京大教授である.2002(平成14)年以降の東京の研究会で,「米国でもタコツボ心筋障害が話題になっている」と教えてくださったのも京大河合忠一名誉教授であった.NEJM CASE 18-1986のCPC症例5)は,44歳女性.17歳息子の首つり自殺に遭遇,胸部の押しつぶされる圧迫感で,30分後に発症.肺水腫の所見をcatecholamin induced myocarditisとしている.IABP(大動脈内バルーンパンピング法)による治療後に劇的に改善している.同僚の栗栖智の集めた症例は,broken haeart diceaseの悲しみのあまり心臓が破れそうな症例ではなく,そして実際心臓が破れた症例は,103例中1例に過ぎなかった.原因としては,推定すると,老女が親しい友人の葬儀に参列して気分不良となりタコツボ心筋症を発症するような症例が多く,NEJMの息子の首つりのような極度の悲劇的な症例には会わなかった.したがって心拍数や血圧に平均で異常はなくカテコールアミンの関与は全く思い至らなかった.私たちの症例には,幸か不幸かあまりにも悲惨なこのような症例には遭遇しなかった.Wittsteinの優れたreview 6)が出た.また,G. Decらの主張7,8)も理解できた.一方で,栗栖の症例の中で重症の脳梗塞で意識不明のまま亡くなったが,タコツボ心筋症を呈した症例があり,意識があるからストレスになるが,タコツボ心筋障害の発症には必ずしも意識があるということが絶対的な条件ではないかも知れないと考えるに至った.栗栖の集めた症例で,平均心拍数・血圧も,特に高い症例はなく,カテコールアミンが主因だとは想像していなかった.カテコールアミンによる心筋障害は,イエウサギの動物実験で,顕微鏡下では,かなり強烈な心筋障害があり,とても一過性の心筋障害とはいえないという先入観があったからである.そのうえ,ストレスといっても必ずしも意識下での出来事でなくても,タコツボ心筋障害は発症することがわかった.心電図の変化に気が付いても特異な心臓収縮の変化だとは思わず,見過ごしている症例が麻酔医によって,明らかにされた.市立岡谷病院の黒河内信夫は周術期にみられた心電図変化はタコツボ心筋障害であると推定している.可変的心筋梗塞または,梗塞様心電図変化とされてきたものはタコツボ心筋障害ではないかと第6回信州麻酔談話会で発表した.神戸大学の循環器科でズブアラ(subara)心電図と称されてきたのも,東京医科大学山科章教授も,お目に掛かった時に,「ビックリした時の精神的な変化による心電図変化だと考えられたのも,タコツボ心筋障害の心電図ではなかったのか」と,推定しておられた.
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