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パルスオキシメータの普及により,誰でもいつでも簡単に低酸素血症の有無を判定できるようになった.しかし,指先で酸素飽和度(SpO2)が測定できるようになったのは,世界に先駆け機器を開発した日本人の功績によることをご存じない方は多い.開発者の社会への貢献,また,その歴史をご本人からのお話を含め紹介させて頂く.
酸素を運搬するのはヘモグロビン(Hb)であるが,酸化Hbは赤外光を吸収するのに対し,還元Hbは赤色光を吸収するという特性の違いがある.分光分析法,すなわちオキシメトリーは,この両者の特性の違い,つまり吸収スペクトルの差を利用して酸素飽和度を求める手法である.遡ること,1940年~50年代にかけて開発された分光分析器であるオキシメータには,Wood型やWaters社製,Hewlett-Packard社製などがあった.しかし,当時いずれも研究の域を越えるものではなかった1).これに対し,現在のパルスオキシメータの基礎を作ったのは青柳卓雄氏である.青柳氏は,昭和11年(1936年)のお生まれで,新潟大学工学部電気工学科を卒業後,1958年に島津製作所に入社,もっぱら医療用計測機器の研究に従事された.一時米国で見聞を深めた後,1971年には日本光電工業に移られ,いわゆる色素希釈曲線測定用のイヤピース法の精度を高めるため,上述のWood型オキシメータの原理を研究された.その過程で,動脈の拍動による透過光の吸光度変化を捉えれば,動脈血の酸素飽和度が選択的に求められるのではないかと考えたのである.その発想を1974年の日本エム・イー学会に発表,特許申請も行い,翌1975年にはイヤオキシメータという耳朶で酸素飽和度を測定する画期的な製品を開発した.これが世界初のパルスオキシメータである.1976年にはミノルタカメラ社も新たに製品化したが,米国のNellcor社は半導体技術の進歩を応用し,使いやすくかつ外乱の影響を受けにくいタイプを作製した.光源を高性能のLEDとして高速点滅させ,受光素子にフォトダイオードを使用したことで,センサを直接皮膚に密着させることが可能となった.また,振動の影響も受けにくくなった.これが現在のパルスオキシメータの大々的な普及に繋がったと言えよう.しかし,青柳氏によれば,この半導体の歴史の裏にも実は日本の技術があり,Nellcor社が最初に使用したLEDおよびフォトダイオードは,日本製であったとのことである2).
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