特集 精神障害者の社会復帰
ある共同作業所の7年—棕櫚亭の歩み
石川 義博
1
,
天野 聖子
2
,
藤間 陽子
2
,
満窪 順子
2
,
寺田 悦子
2
,
天野 寛
2
,
添田 雅宏
2
,
山地 圭子
2
1東京都精神医学総合研究所
2棕欄亭
pp.43-48
発行日 1994年1月15日
Published Date 1994/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401900958
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■明るく元気に美しく
棕櫚亭が国立市で産声をあげたのは1986年,東京都の精神障害者共同作業所通所訓練事業運営費など補助金交付制度ができてから5年後のことであり,都内には50数カ所の共同作業所があった.多摩地区では八王子,町田,小平,国分寺などに存在するだけで,117もの精神病院が偏在している地域にしては,社会復帰の足がかりは非常に少ない状況であった.
私たち共同作業所のスタッフおよび運営委員は長年精神医療に関わってきて,民間主導型で閉鎖的な精神病院を変革しようと,それぞれの現場で努力していた.しかし,組織の壁の厚さに突き当たり,その動かしがたさに疲弊し,無力感を味わっていた.他方では精神病院退院者に対して地域の受け皿の必要性を切実に感じてもいた.閉鎖的な病院をようやくの思いで退院した患者でも,地域に支えがないために,たやすく再発し,再入院してしまう例が極めて多かったのである.
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