連載 ヒトとモノからみる公衆衛生史intermission・1
北里柴三郎とミルク、そして、ツベルクリン
月澤 美代子
1
1元・順天堂大学大学院医学研究科(医史学・医の人間学)
pp.1248-1251
発行日 2024年12月15日
Published Date 2024/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401210442
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はじめに——養生園ミルク事件
北里柴三郎は恩義を受けた人に対する義理を生涯にわたって大切にした。2024年7月から北里は千円札の顔となったが、北里が今に生きていれば、むしろ、恩人の福沢諭吉の肖像が一万円札から消えたことが残念だと語るかもしれない。1892(明治25)年、ドイツから帰還した北里は福沢諭吉の土地を借用して伝染病研究所を設立したが、同じく福沢の土地を借りて運営していた結核専門病院・土筆ヶ岡養生園ではウシを飼育しており、毎朝、牛乳を福沢邸に届けていた。1896(明治29)年秋のある日、福沢邸に届けられた牛乳瓶がひどく汚れており、これが福沢の逆鱗に触れ、北里は福沢邸で3時間に及ぶ叱責を受けたという。福沢から北里のもとに会計総責任者として派遣されていた田端重晟の伝える有名なエピソードである。
養生園のあった芝白金の土地には現在、北里大学北里研究所病院が建てられており、その入り口にはコッホ・北里を祀る神社がある。ご神体はコッホの毛髪である。北里は師であるロベルト・コッホからの学恩を忘れずに終生崇敬の念を抱いていた。
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