衛生公衆衛生学史こぼれ話
55.気宇壮大な疫学人体実験
北 博正
1
1東京都環境科学研究所
pp.140
発行日 1989年2月15日
Published Date 1989/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207878
- 有料閲覧
- 文献概要
脚気は,戦前は国民病の一つで,特に明治時代には,兵士,学生,職人など,地方から都会に出て来た人々の間に多発した.陸海軍もその薄策に大わらわであったが,病因がはっきりしない当時,全く手がつけられなかった.陸軍は台湾征伐(1874)の際,脚気とマラリア等の熱帯伝染病にしたたかやられ,戦闘不能に陥った.一方,海軍も朝鮮で起こった壬午事変(1882)に金剛,比叡,筑波の3艦が40日にわたり清国の巨艦,定遠,鎮遠と相対峙したが,脚気のため戦闘不能となり,さらにわが国最大の軍艦扶桑を派遣しようとしたが乗員309名中,180名が脚気にやられて使いものにならず,ついに断念する始末であった.
ここに海軍軍医,高木兼寛(1849〜1920)が登場する.彼ははじめ鹿児島で石神良策,ついで英医ウィリス(William Willis,1837〜1894)に医学を学んだ.ウィリスは幕末の内戦で官軍の軍医として大活躍し,このため日本は医学の範を英国に仰ぐ形勢にあったが,相良知安・岩佐 純のドイツ医学導入案を政府が採用したため,ウィリスの処遇が大問題となったが,西郷隆盛が鹿児島に引きとって医学教育に当たらせたことはよく知られている.高木はウィリスのすすめにより海軍に軍医として入り,英国留学の機会をつかんだ(陸軍軍医森鴎外がドイツ留学の機会をつかんだのとよく似ている).
Copyright © 1989, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.