特集 公衆衛生の新しい展開と団体活動
日本公衆衛生協会
山本 宜正
1
Yoshimasa YAMAMOTO
1
1日本公衆術生協会
pp.300-302
発行日 1988年5月15日
Published Date 1988/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207675
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■大日本私立衛生会
今日の財団法人日本公衆衛生協会の沿革をたどると,今から百年余りを溯らなければならない.明治維新の大改革のあと,近代的衛生行政が芽を吹き出したのは,明治5年2月に文部省に医務課が置かれ,翌6年には医務局に昇格,ついで同7年8月にわが国の衛生制度のはじまりともいうべき医制が発布され,翌8年には衛生局が内務省に移されたころからである.
さて,明治の初頭にはコレラの流行が大きい社会問題であり,時の政府は防疫に努めたが,成功をおさめることができなかった.明治12年に中央および地方衛生会(行政委員会的な性格であった)が設けられ,府県には衛生課を,町村に衛生委員制度が設けられるなど,衛生行政の体制の整備が行われた.さらに,同14年ごろから,同志が相語らい「全国同志者の協力をもって衛生の法を民間に普及する機関に供する」目的で,大日本私立衛生会を創設することを計画し,16年にはその気運もようやく高まって,主唱者らによる準備が進められ,同年2月18日に正式決定をみて公にされ,同じく5月27日に当時の京橋区木挽町(現中央区歌舞伎座の近く)において設立総会が開催され,全国から1,500人余が参加した.
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