哀悼
勝俣稔日本公衆衛生協会長
長谷川 泉
1
1医学書院
pp.212
発行日 1969年4月15日
Published Date 1969/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203854
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公衆衛生は社会的には地味な仕事である.その地味な仕事を誠心誠意献身的に貫き通して福祉国家の大きな事業として行政面でも軌道に乗せた功績は大きい.その仕事をなしとげられた勝俣稔氏が逝去された.まことに哀悼にたえない.
氏は財団法人日本公衆衛生協会長,財団法人結核予防会副会長の要職にあり,多年わが国の結核予防を中核とした公衆衛生面の先達者,指導者としてすぐれた才腕を発揮してこられた.大正8年に東大医学部を卒業されてから,一生のコースを決定したのは北里研究所の北里柴三郎所長との運命の出会いであったという.この運命の出会いには大日本医師会の理事をされていた父君勝俣英吉郎氏の配慮が大きくあずかっていた.一生を左右する人間形成の面でも,また慶応義塾大学病理細菌学教室にはいり,内務省防疫官として衛生行政にタッチされるようになった人生の軌道も,北里博士の示唆によるところが大きい.
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