特集 国際保健医療協力
国際保健医療協力のあり方をもとめて
深井 孝之助
1
Kohnosuke FUKAI
1
1大阪大学微生物病研究会
pp.399-402
発行日 1986年6月15日
Published Date 1986/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207281
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■はじめに
公衆衛生学の育ての親の一人であるRaymond Pearlの本の中に有名な挿絵があります.人間がその生涯の道をたどって行く時に,死神があらゆる機会をとらえて彼の死の鎌を振りおろそうとしている絵です,現在の先進国はかつては,今の発展途上国よりもはるかに貧しい社会状態にあったので,このような絵が中世に描かれた訳ですが,人間と死神との関係は今でもそれほど変わっている訳ではありません.
筆者がウイルス学の研究を始めたころ,ウイルスの実態はそれほど明らかではなく,恩師谷口先生のおすすめもあって,まず電子顕微鏡によるウイルス粒子の形態学の勉強という,全くの基礎から始めました.研究が進むにつれていろいろな国の研究者とのつながりができ,タイ国からの留学生を受け入れることになったのは1965年のころでした.筆者が居りました大阪大学微生物病研究所は,タイ国公衆衛生省に所属するウイルス研究所と協力関係にありました,そして日本政府から新しい電子顕微鏡が贈られることになり,その設置と研究者の教育のために,筆者もバンコックで仕事をする機会を持ったのです.滞在は3ヵ月ほどの短いものでしたがタイ国の研究者を始め,いろいろの階層の人たちと一緒に働く事ができ,この時初めてこの国の人たちの考え方をじかにのぞき見ることが出来ました.そして,この国でウイルス学の研究を進めるなら,この国の人々の生活に密着したテーマを取り上げなければならないことを痛感しました.
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