人と業績・23
長谷川 泰—1842-1912年
西川 滇八
1
1日本大学公衆衛生学
pp.342-343
発行日 1982年5月15日
Published Date 1982/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206525
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わが国の医学は古来漢方医学を主流としてきたが,さきにのべた相良知安らの建議によって,明治3年2月にドイツ医学を採り入れることになった1).しかし明治維新直後にはドイツ医学を教える機関としては,わずかに東京大学医学部が設けられたにすぎず,それ以来全国に数ヵ所の医学校ができたが到底早急に社会の医療需要に間に合う見込みはなかった.そこで海軍軍医総監の高木兼寛は慈恵医学校をつくり,かつて長崎医学校長になった長谷川泰は済生学舎を創立して西洋医学を学習した医師の大量養成に尽力した2).あたかも医科大学の過剰設置により医師の養成過多が危惧される今日,長谷川泰の生きざまは頂門の一針として,health man powerひいては医師の養成にも教訓となろう.
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