特集 心身障害児
地域障害児施設の経験—障害児を抱えた一家心中を一件でも防ぎたいという願いから
矢野 享
1,2
1(群馬県,社会福祉法人)希望の家
2群馬県医師会
pp.697-700
発行日 1979年10月15日
Published Date 1979/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205942
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■はじめに
筆者が重症心身障害児の母子通園施設「希望の家」を建てたのは,昭和50年5月であった.この施設は,在宅障害児のための定期的訓練施設であり,また障害児の母親に対しては,心身ともに憩いの場たるべく建てられたものである.昭和53年5月には,第二期計画である約64名の入院施設が完成し,さらに翌年昭和55年4月には定員100名となる予定である.
筆者に重症心身障害児との関わり合いをつけてくれたのは,筆者の長女である.彼女は昭和30年に未熟児で生まれ,生後2週間目に大学病院で重症肺炎となり,奇跡的に一命をとりと止めたものの,脳性麻痺となった.以来24年,医師としての,また重症児の親としての生活が続く.おかげで「重症心身障害児を守る会」のお世話をさせていただきながら,多くの障害児と,その御家族に接する機会を持たせていただいた.また特に,筆者の妻は小児科医として,母親として女性特有の感覚でこの問題に接して来た.以下の文章は,一施設としての発言というよりは,重症児を持つ医師として,いやむしろ,親としての意見が強く反映されたものとなるかもしれないが,その点ご了解願いたい.
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