特集 地域福祉
地域福祉の現場から
親子心中防止について
品川 博
1
Hiroshi SHINAGAWA
1
1鐘の鳴る丘園
pp.818-821
発行日 1984年11月15日
Published Date 1984/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206955
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地域福祉という言葉は,普通,地元の市町村,広くいっても県単位である.しかし私は型破りの人間で,昭和21年5月より,戦災孤児救済運動を始めて38年間,市町村とか県単位に物を考えずに,日本中の方々を対象にして参りましたので,この一文も日本中の方々を対象にして書かせていただきます.
私は昭和21年3月末に南の島ラボールより,敗戦の祖国に復員致しました.私は何故戦災孤児救済運動に入ったか,その動機をよく人に聞かれます.その第一は命ある喜びを感じたからです.その第二はそこに誰も救いの手を差しのべない戦災孤児がいたからです.戦災孤児は全国で13万人いたのです.その中5万人は乞食になったのです.それが浮浪児です.彼等は人間の子供でなくけだものになっていたのです.彼等を保護する事を浮浪狩りと申しました.狩り込みといったのです.汗とほこりにまみれ,頭の毛はぼうぼう,冬でも裸足で体中に何百何千のしらみがはい廻り,汽車はただ乗りで全国を放浪したのです.当時日本国民は,自分だけが生きる事がやっとでした.マッカーサー元師はNHKに命じて,菊田一夫氏を通して鐘の鳴る丘のドラマを放送させ,戦災孤児救済運動を日本人に呼びかけたのです.私はこの放送開始1年前からこの仕事をしておりました.私がモデルに会うために菊田先生を訪ねたところ,これはフィクションで,菊田先生から「あなたがモデルですよ」と言われて,鐘の鳴る丘の現在が出来上ったのです.
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