特集 医制100年
明治初期のわが国医療制度の確立に貢献した人脈—岩佐純・相良知安・長与専斎の事蹟を中心にして
菅谷 章
1
1病院管理研究所
pp.464-469
発行日 1974年9月15日
Published Date 1974/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204881
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西洋医学の採用が国の方針として正式に打ち出されるようになったのは,1868年(慶応4年,同年9月8日に明治と改元)2月典薬少允高階筑前介が西洋医学御採用方について進言した建白書1)がそもそものはじまりである.
この建白書において高階筑前介は,皇威顕揚のために,西洋医学を根幹とする医道を確立すべきこと,医学所・医病院・癲狂院を緊急に設立する必要性を強調し,貧窮者には特別な医療の途=医療保護のための施薬救療の途を講ずべきこと,あわせて行旅病者に救療の方法を講ずべきことを建白したのであった.この建白書が機縁となって翌月の3月7日,西洋医術差許の御沙汰がくだり,太政官は即日,自今わが国の医術は西洋医術に準拠すべき方針を決定し,つぎのような布告を発したのである.
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