人と業績・8
長与専斎(1831-1902年)
山本 俊一
1
1東京大学衛生学
pp.168-169
発行日 1981年2月15日
Published Date 1981/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206260
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わが国の公衆衛生の歴史をさかのぼっていくと,その原点に存在するのが長与専斎である.この人は明治初年に英語のサニタリー(Sanitary),ドイツ語のゲズントハイツプレーゲ(Gesundheitspflege)という言葉を初めて「衛生」と訳し,それまでわが国にはなかったこの新しい分野を紹介するとともに,欧米視察から帰国すると直ちに衛生行政の最高責任者となって活躍し,さらにわが国最初の医学教育機関である長崎医学校(現在の長崎大学医学部)および東京医学校(現在の東京大学医学部)の創設期にも大きな功績があり,わが国の医学教育史上にその名を輝かせている.
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