人にみる公衆衛生の歴史・9
暉峻義等(1889-1966)—わが国における労働科学の誕生
川上 武
1
,
上林 茂暢
1
1杉並組合病院内科
pp.40-41
発行日 1972年1月15日
Published Date 1972/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204408
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労働科学といえば,まず思いおこされるのは暉峻義等の名前である.治療偏重の日本医学のなかに,暉峻は,はじめて労働を対象とする学問を導入し,その確立をはかった.
しかし,暉峻および彼の生涯の大事業である労働科学研究所の評価となると,必ずしも一致をみていない.肯定的にみる人たちは,暉峻の活動が産業の実際面,社会政策,労働政策にたいする科学的根拠をあたえた点で積極的に評価している.他方,批判的な人たちは,暉峻の意図理念はともかく労働科学のはたしてきた社会的役割より,活動ぜんぱんに批判的である.
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