教室めぐり・29 鳥取大学衛生学教室
医学における私の夢
村江 通之
pp.38-39
発行日 1972年1月15日
Published Date 1972/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204407
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戦争準備期の人手不足からくる過労と物質欠乏の非衛生な生活からして,ついに伝染病研究所(現在の医科学研究所)の5年目の秋から,リウマチを患うようになった.すでに闘病生活30年がすぎた.ここに至って医学,ことに日本の医学は案外貧弱なものではないかと思う.そして医師が(庶民の上にあるべき医師が)あたかも工場労働者のような行動を,集団の形で取らねばならぬようになってきては,もはや医師,ことに治療医学は行きづまってきているのではないかと,ひそかに心配している.そして現代医学の医療体制がつまらぬと叫ぶ若き医師やその卵が,あまり勉強もしないで目前の利潤を追うすがた.そして一大病院の設立を夢みてこれに走る.さて大きな借金で大病院を作る,ところが現実はこれに働く医師や看護婦や技術員の確保がむずかしいので,大きな無理をする.よって折角の大病院もやがて機能不全におちいる.
今や医は仁術ともいうべきでなく,医は不健康人を相手の修理を目標にした,一大企業化してきているといっても過言でない.医師は一種の職工にすぎない.それがなりたてのものも,何10年の経験のもち主も平等にとりあつかわれるので,不均衡といわざるを得ないのである.
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