エディトリアル
新しい公衆衛生像の条件
橋本 正己
1
1国立公衆衛生院
pp.520-521
発行日 1971年9月15日
Published Date 1971/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204323
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保健所改革が論議されるようになってすでに久しい.戦争直後,日本国憲法の制定をスプリングボードとして,保健所法の全面改正によって整備拡充された新制保健所の全国的なネットワークは,とくに戦後10年の公衆衛生の向上に偉大な足跡を残した.だが昭和30年以降の日本社会の激しい変化は,かつて世界のいずれの国にも経験のないものとなった.国民死亡の改善と平均寿命の伸長により,死亡像・傷病像は大きく変り,進学率の上昇,マスコミの浸透,国際交流の増大などと相まって,日本人の生活様式,生活意識に大きな変化が起こり,町村合併,国民皆保険の達成などのなかで,保健所ひいては地域の公衆衛生を支えてきた諸条件は激しく変った.
60年安保と所得倍増計画に始まった60年代には,高度経済成長と重化学工業化,モータリゼイションの無計画な進行によって,いわゆる公害問題が激化し,大規模な人災が相ついだ.60年代の末期には大学紛争が極点に達し,医学,医育,医療の諸矛盾が国民大衆の前に露呈され,そのあり方が根源的に問われることとなった.
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