随想 明日を担う公衆衛生
生きがいのある公衆衛生の仕事
大橋 六郎
1
1神戸検疫所
pp.441
発行日 1966年8月15日
Published Date 1966/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203315
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昭和13年京大を卒業し,副手として内科に一時籍を置いたが,卒業時代に衛生学教室で,当時某県衛生技師の西川治郎兵衛先輩(広島原爆で不幸にして死去)の熱のこもった講話を聞かされ,公衆衛生行政に引き込まれた。その年の5月頃上京を促され,予防局の高野六郎局長,勝俣先生などの前に同僚と並ばせられ,試問を受けたことを記憶している。そして兵庫県勤務を命ぜられ,当時の兵庫県警察部衛生課に6月始め判任官(防疫医)として就職した。サーベルを下げた警部補の間にはいり,学生時代のステトスコープは机の中に入れて,ボヤーッと机の前に坐る居心持は何ともいえない気持ちだったことが今でも頭に浮かぶ。同室には後に各県の衛生課長,厚生省に帰任された優秀な先生方がおられたので,何とか坐っていられたのであろう。
当時,赤松秋太郎課長の厳格な命令下で,神戸港湾の検疫や,港湾労務者の予防注射を海上の浮標の上で行なった経験は,現在の検疫所長職の私にとっても,昔のことを懐しく想い出される。県庁内では,主として防疫に追われていた。赤松先生は私達を将来のために育てようと考えられたのか,41年に東京の公衆衛生院の内地留学を命ぜられた。当時集まった支那,満洲,朝鮮のドクターなどと5階個室を貰い,第1回生として,林院長の下に,斎藤先生,川上先生,野辺地先生,亡き石川先生などにはじめて公衆衛生について教えを受け,楽しい1カ年を過ごした。
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