特集 社会医学(第3回社会医学研究会講演)
一般演題
休業率よりみた鉄鋼労務者の実態
三谷 和合
1
,
水野 洋
2
1大阪柴谷診療所
2大阪大学医学部衛生学教室
pp.620-622
発行日 1962年11月15日
Published Date 1962/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202590
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I.産業合理化をどう考えるか
この数年来,わが国においても技術革新に基づく産業全般の合理化が盛んに行なわれているが,わが国では単に技術革新に基づくというのでなく資本主義競争に打ち勝つために従来すでに産業の各工程で当然合理化されていてよいものを,近来どうしても行なわざるを得なくなつたというのが,特に中小企業の実状といえよう。経営,資本の側はこの合理化は単に生産性の向上のみならず,労働者の従来の過酷な重筋労働を軽減させてもいると宣伝し,一般にこの産業工程上の合理化は労働者の健康を守り,その作業率を下げているのだともいわれている。しかしそれらに対してはすでに多くの人々によって反撃が加えられ「資本主義の下におけるオートメーションは一つの形態の疲労を他の形態の疲労に,肉体的疲労を神経の緊張におきかえている。」というように表現され,事実現場の労働者もそのことを直接その肌で感じている。しかしながらこのような疲労の形態の交換はますますいわゆる現在の生物学的自然科学の方法で,数量的に疲労と健康破かいの度合を把握させることを困難にしている。市川氏が「鉄鋼」(岩波新書)で述べておられるごとく「鉄鋼業における設備合理化=近代化によっても鉄鋼労働者に対する収奪は少しも軽減されるどころかより強化される」のが現実の産業合理化の姿である。その現実を社会医学の立場からどうとらえて行くべきか,そのささやかな第一段階の試みを報告し,ご批判を願いたい。
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