特集 家族計画
家族計画と助産婦保健婦
児玉 貴和子
pp.34-36
発行日 1957年4月15日
Published Date 1957/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201811
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保健婦である私が開業助産婦さんと一緒になつて多産で貧しい我が村を現在迄の家族計画に育て上た事を述べてみます。対象の奥南村の実態は海岸沿に南面した急傾斜地帯で面積は4.6平方粁,戸数770戸,人口4677人で産業は半農半漁,農業は甘藷麦を主として一部果樹や米作がある位で急耕地面積1戸当5段弱で約80%は零細農になつている。その上燃料は全部購入する状態で生活の苦しい中に飲料水は少く非衛生的な文化の低い村である。
最初は先ず避妊が目的で,始めた動機としては1949年頃人工妊娠中絶が流行のようになつてからの事である。二男三男で辛じて生活している者が2才迄に次回の出産で,経済面に困るのは勿論の事子供の世話も出来ずして,乳幼児の死亡率は高くなり,親子共に苦しむうちに,昔でいう間引のような結果となり,訪問先でいつも話題とされていた。昨日今日中絶した者が家人や隣人に知られたくない為,平常以上の仕事をする。身にこたえる事を知りつつもやつているのだ,又中には中絶費の出来ない人がある,仕方なく自然の分娩となり,分娩費は勿論分娩の準備は何1つ整わず目出度いはずの出産を暗い心で迎える妊婦さん,こんな状態の多くなるのを見たり聞たりするうちに見逃す問題でないと助産婦さんと話合い立上つたのが1950年であつた。
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