あの町からこの村から
家族計画に助産婦がひと役
pp.68-69
発行日 1956年7月1日
Published Date 1956/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611201093
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「あの嫁つ子,でかい腹をして,近ごろのハヤリ(流行)知らねえな」冗談まじりながら,こんなささやきが部落のフロ屋の女湯で取交されるのを見てもわかるように,ここ長野県東筑摩郡筑摩池村は家族計画(受胎調節)の普及に熱心な村である.流行の裏には女の欲望があるだけと皮肉られるような流行とは違い,受胎調節というこの流行は,母親たちの自覚と切実な願望,合理的な考え方が裏付になつて生れたものだ.戸数550戸余の小さなこの村で,5年前,中絶手術の失敗で4人の子の母親が死んだ事件が起り,村人に大きなシヨツクを与えた.村の中絶数は出生数をはるかに上廻り,大抵の母親が1度や2度の中絶の経験を持つているだけに,真剣になつた彼女たちは受胎調節の指導を保健婦の小林さんに頼みこんだ.小林さんは当時22才,未婚の身ながら早速活動を開始し,講習会や講演会を主催して啓発につとめた.夜更けて小林さんの家の門をたたき詳しく相談を持ちかける夫婦も現われ,若い小林さんがたまりかねて「おばちやん話してやつて」と近所の薬局に飛びこむことも再三あつた.間もなく,理論指導だけでは満足できず,実地指導を望む声が高くなり,母親たちの体をよく知つている助産婦の大竹さん(52)にも指導員になつてもらつたらということになつた.だがこれは出産の商売の大竹さんの「首に綱をまくようなもの」と頭をひねつたあげく,村から月給を出すことに話がきまつたのが29年4月のこと.
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