研究と資料
何が死亡率を減少させたか
大久保 正一
1
1穴澤病院
pp.30-35
発行日 1948年11月25日
Published Date 1948/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200369
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緒言
福島縣の中央に神秘的な美しい猪苗代湖がある,この北方に會津磐梯山がそびえる。この山麓は西南にのびて肥活な會津盆地をつくり,この中心に會津若松という小さな都會がある。こゝは昔の城下町でもあつて封建的色彩が強く未だに病氣は神佛の崇りなりと信じているものが多い。ところが此處の市役所を中心に公衆衞生調査委員會というものが昭和23年4月に誕生した。これは時代の波と云えば云えるが不思議な感に打たれるくらい進歩的な行動であつた。そこで何かに公衆衞生學的な對策をたて市民の長壽をはかることになつた。對策をたてるには先ず衞生状況を出來るだけ詳細に知ることが必要となつた。然し今迄の日本でこのように小さい都市・衞生状況を科學的に調査することは非常に少かつたと思はれる。若松市も御多聞に洩れず一つもなかつた。
また飜つて考えたことは,我國には國民保健のために厚生省も出來公衆衞生院が完成し幾多のすぐれた衞生學者も輩出した。こういう氣運にあれば必ずや色々の良結果の現はれたものと期待出來る。現に一般國民死亡率,乳兒死亡率の著明なる減少が指摘されている。そしてこの事は日本の各都市各農村に一種の恩澤を與えたものと思はれるが,若松市には如何なる良影響があつたのか。
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