論述
衞生行政の大改革と保健所の方向—サムス大佐のOrientationをきいて
齋藤 潔
1
1公衆衞生院
pp.32-35
発行日 1948年5月25日
Published Date 1948/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200292
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われらは世界に類のない全國保健所網をもつている。われらは稀に見る學校衞生組織をもつている。われらの小學校では毎年1囘づつ身體檢査を行ひ,各校1名の學校醫がいる。かゝる衞生行政施設の存在することに於ては正に世界に冠絶しているが,かかる組織から得られる効果をきかれると返答に躊躇する。學校身體檢査で發見される身體的竝に精神的缺陥に對する處置は何か,またその處置の結果は何かということになると心細い。年額數十圓か數百圓の報酬を受ける校醫に多くを期待することも無理であり,かかる校醫が學校衞生のために努力して研究するような氣運もない。1部の校醫には極めて熱心に職に奉仕している人もあるにはあるが,多くの校醫は先づ1年1囘の身體檢査で,その責任を果たしたと考へている。一般に明治時代のわれらの制度文物には發らつたる清新の意氣が溢れ,學校にも社會にも家庭にも研究と創意と熱意とがみなぎつていたが,大正昭和時代に入つて,漸く形式に流れ,形にとらわれがちとなつた。われらの公衆衞生もまたこの例に洩れず,組織は立派になったが實行の工夫と創意を缺くうらみがあつた。保健所組織が10年の歴史を經たにもかかわらず,世に重きをなさずに今日に至つたことに,われらは反省すべきものがある。去る3月22日總司令部のサムス大佐は,杉並保健所に於て各府縣軍政部醫官を召集して,日本の保健所の振はない理由として次の3點を指摘した。
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