論述
初代衞生部長は斯く語る—衛生部の獨立に際し,衛生技術宮としての覺悟,他
土屋 忠良
1
1京都府衞生部
pp.296-300
発行日 1947年1月25日
Published Date 1947/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200095
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今春以來,全國的に蔓延猖獗を極め,我國有史以來の大流行を呈し,一時は其の止まるところをさへ知らざる程度の大慘事を惹起した發疹チフス禍に際し,進駐軍當局の指導協力があり,或は空から飛行機でDDTを撒かれ,頭からDDTを浴せかけられて始めて公衆衞生の幼稚であつたことに目が覺めたのは吾々日本人の大多數の者達であつたことは否めない告白であつた。由來我國の醫學なるものは最近著しき進歩を示し,歐米先進國の夫れに劣らず否寧ろより一頭地を抜いて居るものであるとして,臨床醫家も一般國民も之を確信し自惚れて居つた次第である。
成る程疾病の治療や,病原體の研究等に對しては世界の醫學界に誇り得べき數々の業績を學げ貢献し來つたと云ふことは自他共に認めて居るところであるが,飜つて一と度び眼を公衆衛生の分野に轉じて見たる時,自ら思はず膚に寒さを覺えさせらるゝものがあるのである。
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