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はじめに
若狭町の認知症に学ぶ活動は1991年にさかのぼります.私自身は1990年4月,敦賀温泉病院の開院と同時に神経科精神科外来に看護師として就職しました.認知症の方との出会いは,ここから始まります.当時は在宅から,また施設からでも重度になって初めて外来を受診,紹介される認知症の人が多く,なぜもっと早く受診できないのか考えさせられました.また,認知症の周辺症状も家族の理解を深めることにより軽減し,薬物療法でもかなり安定することをこの目で見てきました.この頃,玉井顯院長は若狭町から認知症講演を依頼されることが多く,講演後は軽度の認知症の方が訪れるようになり,その地域の認知症に対する偏見が薄らいでいることに気づきました.
「認知症を知るにはまず脳を学ばなければいけない」と若狭町保健センタースタッフとも意見が一致し,1991年4月に若狭町で脳を考える会が誕生しました.その名は「ポンポコリン勉強会」です.玉井院長および保健センター,社会福祉協議会などのスタッフが月に1回,午後6時から保健センターに集まり,時間が経つのを忘れ楽しく,脳について学び認知症を考えました.認知症の人や家族のために私たちに何ができるのか,町としてはどうしたらよいのかをみんなで考えました.まず,どの程度の認知症の人がどれだけ存在するのかを知るために,1997年に若狭町保健センター,敦賀温泉病院のスタッフが中心になりアンケート調査を実施しました.
敦賀温泉病院の認知症疾患医療センターに訪れる認知症の方は年々多くなっていますが,まだまだ在宅で困っておられる認知症の人は多いと思います.認知症の人や家族を支援する方法は,脳を理解し認知症を知る講演活動,啓発しかないと決断しました.敦賀温泉病院で学んだことを基礎として,さらに認知症の人や家族を広く支援するために,2001年2月から若狭町役場に就職しました.脳を学び,認知症を知るポンポコリン勉強会の思想を受け継ぎ,専属の脳・認知症の啓発,生活習慣病の予防のための訪問活動を中心とした仕事に携わるようになりました.
しかし,講演活動や出前講座では講演に集まれる人は限られ,若い人,男性が集まることが少なく,やはり個別訪問が一番よいと考え,2001年4月からは訪問を主として実践しました.訪問活動により,年々町民の認知症の理解,特に早期発見・予防の考え方,また脳の理解などが深まり,認知症に対する偏見が徐々に薄らぐのを実感しました.訪問と同時に調査も実施しており,毎年統計をとり今後の予防に役立てています.「何かあったら連絡してね!」の一言で個々の町民とのつながり,町民と福祉の間,町民と医療の間,また在宅と施設との間に入り連携できる立場,すなわち町のリエゾン・ナースのような存在は,大切な役目であると思えました.2005年7月29日には前千田千代和町長の理解のもとで私一人の活動ではなく,認知症になっても安心して暮らせる若狭町をめざして,町自体が中心となり民生委員,教育関係,医療関係,福祉関係および保健関係の13人からなる「プロジェクト若狭」が結成されました.現在,認知症キャラバン・メイトやサポーターの養成活動などが幅広い年齢層に積極的に展開され,今では認知症でも安心して暮らせるまちづくりは町全体の活動となっています.
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