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はじめに
2011年3月11日午後2時46分,私たちはこれまで経験も想定さえしたこともなかった大規模な,そして極めて困難な問題を抱えた東日本大震災に遭遇することになった.地震,津波,原発災害,そのいずれもが最大規模の複合災害となり,被災者数だけでも〈死亡15,037,行方不明9,487,避難者116,591(5月14日現在,警察庁まとめ)〉と報じられている.岩手,宮城,福島3県にまたがる東北太平洋岸を壊滅的にのみこみ押し流した大津波,破壊されつくした町,住民の暮らしの被災状況は,3か月経った今日も(本稿執筆時),さまざまな新しい問題を生みながら,復興,再生の目処さえ立っていないのが被災地の現状である.
とりわけ東京電力福島第一原子力発電所では,建屋の爆発,放射能汚染の拡大,高濃度汚染水の海への投棄,絶対あり得ないと言われた原子炉本体の破損,メルトダウンが確実となり,最悪の事態は今日も続いている.住民の退去避難命令は5km,10km圏で生活していた立地自治体の住民はもとより,20km圏の市町村の住民も全村避難,屋内退避指示,20kmから30km圏内を計画的避難区域と定め,さらに50km,60km圏でも被線量の高い計画的退避準備地域に指定された飯館村,また福島市や郡山市でも学童の屋外での運動制限,その上,理不尽な風評被害までが福島県民を苦しめてきた.
日々変化する現地からの報告は,いずれの被災地でも復興復旧の兆しと言うよりは,3か月経った今も元の生活に戻る見通しも立たず,避難所で暮らす多くの被災者の苦痛を伝えている.仮設住宅の建設もまだ目標の半ば,避難所生活も100日を超え,梅雨を迎え,さらに押し寄せる熱暑,冷房もなく蒸し風呂のような体育館での集団生活も長期化し,食中毒や感染症の心配も増えている.3か月が経ってついに役場ごと村を棄て全村移転に追い込まれた村もある.どぶ,水没した田のヘドロが悪臭を放ち,ハエや蚊の大量発生,衛生状態は日ごとに悪化していると聞く.近い将来への見通しさえ持てない状況で,被災者は避難所でじっと苦境に耐えながら何かを待っているのだが,今となっては「何を待っているのかもわからなくなっている」という声さえ聞こえている.こんな非人間的な状態がいつまで続くのだろうか.
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