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はじめに
1987年6月,われわれは父の日の前日に全国5か所(札幌,仙台,東京,大阪,福岡)で初めて過労死110番を開設した.それに先立って4月,大阪社会医学研究所の田尻俊一郎所長からお電話をいただいた.「働く人への臨時相談電話」を開いたら,過労死事例の相談が殺到したというのだ.
その背景として,当時は休まず,寝ずの有名人の突然の死亡が大きくマスコミで報道されており,田尻先生,上畑鉄之丞先生,細川汀先生による『過労死』という書籍が刊行された頃であった1,2).現在,この取り組みの中心は弁護士であるので,マスコミも「過労死弁護団主催」という報道をするが,この異常な働き方に起因する労働者の死亡・障害を世に告発し相談・支援に着手したのは,医師であった.これは重要なことであると思う.
現在,過労死は,過労自殺と共にある意味日本の特徴の1つとして内外で語られている.しかし,当時は行政もかたくなにこの社会現象を注視するのを避け,かなり時間が経ってから「過労死」というカッコ付き用語で取り上げることになった.医療団体幹部等からは,「『過労死』とかいう医学的でない言葉で労働者の肩を一方的に持ち上げる運動で煽り,社会に騒ぎを起こすのか」と言われるなど,冷ややかな対応ばかり目立っていた.学会関係でも,例えば上畑先生が責任者であった委員会(筆者も委員)で取りまとめた「日本産業衛生学会循環器疾患の作業関連要因検討委員会 職場の循環器疾患とその対策①②」もかなり強い拒否反応や大抵抗にあい,1997年日本産業衛生学会パネルディスカッション「産業労働者における循環器疾患の予防管理(筆者はパネリスト)」では,演者である2人の専属産業医から「専属産業医の全国調査では交替制勤務に一定の法的制限が必要とする割合は22%に過ぎない」とか,「企業の海外進出による国際化対応・夜型社会への移行という時代の流れからは経済問題も関与するので一律の規制は一考を要する」という考え方(同学会の1978年意見書とはかなり立場を異にする考え)が出される状況であった.多くの犠牲が払われ,一向に改善しない現実を前に,近年になってようやく,行政も会社もこの課題を重視するようになった.日本産業衛生学会をはじめ,多くの学会も,過重労働や労務管理(例えば成果主義)が働き盛りの労働者の深刻な健康障害や死亡の背景になっていることを,ようやく認めるようになってきた.
しかしもっと前からの認識と取り組みがあったならば,との思いがこみ上げてくる.筆者は仙台において第1回過労死110番から,先日6月20日の第43回相談会すべてに参加してきた者として,本稿では過労死について「知り得たこと」と「予防為の課題」に触れてみたい.
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