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はじめに
高知県は昭和23年から独自の「駐在制」を敷き,県下あまねく太平洋に浮かぶ孤島から,辺境の山々の奥地まで,保健婦たちを派遣し駐在させ,無医村,無助産婦村にも公衆衛生活動を展開しました.その保健師たちは県の保健婦の制服と,胸に「K(高知)PHN(パブリックヘルスナース)」のマークのはいったバッジを必ずつけていました.制服,バッジが消えたのは,平成6年の「地域保健法」を境にしたころだったようです.本連載〈PHNに会いたい〉の取材で高知に行った時,講演を頼まれた際,この話(今回初めて聞いた)をしましたら,親しい保健師が「私もまだ持っています」と,写真を撮って送ってくれました(写真1).黄緑の地にピンクの撫子,その上に銀で縁取られた赤い文字で「KPHN」と刻印された,直径1.8cmの丸いバッジです.
『黒い鞄―高知県下保健婦 苦闘の記録集』(昭和60年3月,高知県国民健康保険団体連合会発行)には,高知県保健婦が全県に駐在する制度が始まって以来,県境の僻地寒村,絶海の孤島,四国のチベットと言われるような土地に駐在派遣され,命がけで保健(公衆衛生)活動に取り組んだ保健婦たちの声が綴られています.特に新人保健婦が地の果てと思えるような赴任地に初めて向かった時の不安,その地での孤独な闘いを知るにつけ,唯一彼女たちを支えた「県の保健婦」という誇りと責任のシンボルが,この制服と胸のマークであったことは想像に難くありません.どんな未知の地への赴任も「自分の地域を持つ」覚悟と熱情がどの報告にも溢れています.
実際に保健婦たちが引き受けた困難な仕事のアイデンティティであり,それほど大事な生命線でもあったシンボルがいつの間にか消え,胸のバッジを外すことに大した抵抗もなかったところが問題でした.「保健婦(師)」の周囲に時代の大きな変化が起きていたことは確かですが,その変化(公衆衛生→地域保健)をやすやすと受け入れてしまった保健婦側にも,すでに「PHN」としての使命感や心構えが希薄になってきていたのだと思います.しかし,ここでもう一度このバッジを机から出して眺め直している保健師たちがいます.
写真を送ってくれた保健師の合併町では今春から,新採保健師の名刺に“phn”のロゴを入れた名刺をプレゼントすることにしました.もちろん大事なのは形ではなく精神ですが,当たり前に誇りを持って「私はパブリックヘルスナースです」と,若い力が名乗れるときがまた必ず来るのではと,今回の高知取材で感じました.
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