連載 水俣病から学ぶ・9
森永ミルク中毒事件と水俣病事件の比較政治学―「隠蔽と消去」の政治を超えて
栗原 彬
1,2,3
1明治大学文学部
2水俣フォーラム
3日本ボランティア学会
pp.689-693
発行日 2003年9月1日
Published Date 2003/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100949
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『14年目の訪問』
「森永ミルク中毒事後調査の会」編の『14年目の訪問―森永ひ素ミルク中毒追跡調査の記録〔復刻版〕』(せせらぎ出版,大阪市,1988)のページをめくりながら,水俣病の場合の,「13年目の訪問」を想い起こさないわけにいかなかった.すなわち,それぞれの公害の発生の後,被害者はいずれも永い忘却の淵に追いやられ,社会がその存在を再び認めるまでに,森永ミルク中毒事件は14年,水俣病事件は13年という,取り返しのつかない空白の時間を抱えた,ということである.
1955年6月,西日本一帯に,乳幼児の間で皮膚が黒ずんだり,おう吐や下痢を繰り返す「奇病」が発生した.岡山大学法医学教室が森永粉ミルクMF缶から砒素を検出して,岡山県が「原因は砒素中毒」と発表し,訴訟が行われた.しかし,政治的作為によって中毒事件は早々に終わったこととされ,14年の間,森永乳業も県と国の行政も,医者もマスコミも,被害児の家族を訪問することはなかった.
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